焦点


均等に負担を分け合わなかったのだろうか、同じ景色を見て育ったはずの右と左の視力が見事に大きく離れている。まるで、お互いが支えあっているようで実は片方がずっと怠け続けている「人」という字のように。


メガネかコンタクトで釣り合いを持たせないでいると、すぐに焦点は定まらなくなり、その後は決まって頭痛に苛まれる。


ときに定まらないのは目だけではない。頭の中で繰り返し問答しては、その都度正しい(と思われる)ゴールへと結びついたはずの設問が再び大きく歪んで裂けていく。それはどこかで発生した地震を伝えるニュースで映し出される活断層のように。


「そうだ、日本に生まれ育ったせいだ。こんなにも複雑に絡み合った活断層を頭の中に抱え込んで苦労してるのは。」


新横浜を少し過ぎたあたりでそう言い放って荷物をまとめはじめた。薄っぺらい雑誌を読んだり、iPodのプレイリストを作成したり、隣で騒ぐUSJ帰りの親子連れに愛想笑いを振り撒いたりしながら、頭の隅っこで新大阪からずっと考えていたら、やっぱり裂けるような酷い頭痛がお土産で付いて来た。


「メガネを玄関に置き忘れてこなければ良かっただけかもしれない」


* * * * *


というわけで、週末は大阪に帰ってました。がっつり満足のいく買い物をして(大阪だと湯水の如く買い物欲が湧く)、ひたすら彼女の家で爆睡してきた。あっという間。


あと、以前使っていた部屋を今は弟が使っているのだけれど、あまりにオサレ部屋すぎてクラっとした。エビちゃんの火遊びに射られてプールに倒れこむあのガイジンさんみたいに。